日米両政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の返還に合意した1996年4月12日から、25年がたった。返還は実現しないまま、広大な基地が市街地に横たわる。両政府は沖縄の声に耳をふさぎ、名護市辺野古への移設計画で突き進む。戦略環境の変化に、両政府の姿勢はさらにかたくなさを増している。
東京都港区の飯倉公館で3月16日に開かれた日米外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)。岸信夫防衛相は、ある航空写真を米側に示した。普天間の移設先となっている名護市辺野古の海を埋め立てる前、そして、埋め立てた後の写真だった。移設予定海域で見つかり、大規模な改良工事を必要とする軟弱地盤も話題になったが、「特に問題にはならなかった」(日本政府関係者)という。
終了後に発表された共同声明には、辺野古移設が「唯一の解決策」と明記された。2013年10月の2プラス2で盛り込まれて以来、日米で踏襲してきた表現。それでも日本側が写真を持ち出して説明したのには、官房長官時代から肝いり案件として進めてきた菅義偉首相の「強い決意」をアピールする狙いがあった。防衛省幹部は「地元ともめても選挙があっても計画を止めない。それが米側からの信用につながっている」。
菅官房長官時代の18年12月…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル